人にどう思われているか…ということに関して、非常に敏感になったり、一番望ましくないことを色々とイメージして怖れの中へ入っていくことがあります。
これは多くの方々にみられる日常の葛藤です。
ご存知の通り怖れにエネルギーを注げば、それが現実化していきます。
人間がどのような存在であるかをもっと知る必要がある、と神は言います。
神との意識的な創造は「決める」ことから始まっていきます。
そのためには「自らはどんな物理現実を創りたいのか…」ということを明らかにし、その創造に向けて意識を合わせていくことが求められます。
場合によっては何が起こったわけでもないのに、「不用意に他者を傷つけたりしていないか…、適切でない発言をしていないか…」というような不安にかられることもあるかもしれません…
こういった懸念は枚挙にいとまがありませんが、やはり懸念することにエネルギーを消費するのではなく、違う方向に向けた方がよほどうまくいくものです。
知らないところで人に嫌な思いをさせないためには、自分と他者を常に認める意識を日常的に持ち、育てていくことです。
起こることには必ず意識との関連があります。
日々自分と他者を認めるということは、潜在的にそれが落ちるということであり、潜在的に落ちるということは自然にそれが行われるということです。
「不用意に」に望んでいない発言や行動をとるということは、それが潜在的なところから来ているということです。
これはコントロールが出来ない範疇にあります。
心配の前に認めるという自らの在り方をしっかりとしておけば、どんな時にもそれは現れるものです。
人にどう思われるか…という心配を杞憂に終わらせるためにも、必要なことです。