世の中は人為的に有毒なものが店頭に並んだり、製品に混ざっていることもあります。
農薬がたくさんかかった野菜や添加物など日常から避けており、食べ物に関しては特に気を遣っている方々もおられると思います。
正直、そのように気にしていくとスーパー等で一般的に売られているお肉や魚介等も含めた食材は、安心して口に出来るものは殆ど売られていないと言えます。
過度に気にし始めると本当に食べる物がない、ということになります。
知らず知らずのうちに摂取することにも心配が及ぶなら、なおさら食べ物を選ぶことがストレスまたは「大変」という意識に移行しがちです。
そして実際に大変になります。
どういう食べ物に出会うか…というのも共鳴ですが、創造主のうつしであるという意識に目覚めていくと、そこも超えていきます。
ある覚者はご自身が食べていた市販のお菓子について質問を受けると「目覚めたら何を取り入れても光となるんだよ」と答えたと知人から聞きました。
目覚めるということはそういうことだ、と内なる神は言います。
目覚めた意識では物理現実によって振り回されることなく、自らの意識が心身の状態、物理現実を創ります。
「意識が現実を創る」ということは大変有名にはなってきているものの、それは大変奥深いと言えます。
知識として「意識が現実を創る」ということがわかっていればいい、ということではありません…
そして、本当にそのような意識を生きようとすると、これまで生きてきた世界がいかに幻想であったかにも気づきます。
このようにして生き始めたら、もう今までの世界には戻れないとわかりますし、「物理世界の現実が中心」という意識は毎日の生活が本当に大変であることも実感できます。
だからこそ、今の意識を二元性から解き放つ必要があります。
日本は地震も多い国ですが、どうやって自らの命や大切な人々の安全を守りますか?
本当はどうやって…という文言自体が物理世界的発想といえますが、それは自らの「日々の在り方」にかかっています。
それは何をするか…ではなく、どう在るか…ということであり、自らの意識が物理現実を刻々と創り続けているという認識を持ちつつ、日々意識と物理現実を照合、修正していくという積み重ねです。
更に自らの広大な本質とのつながりは不可欠です。
つまりこのような在り方を通して、次の次元に移行していくことです。
話を戻すと毎日どのような食物を食べるか…ということも大切ではありますが、一旦安全な食べ物を摂取するということを基本とできたなら、その後必要なのは物理世界の物品や状況に左右されない自分に目覚めていくことです。