人は基本的にはあるところまで自らの意識を物理現実に投影します。
そのようにして自らの意識を鏡のように物理現実に映し出します。
自らを本当に助けるようなメッセージがやって来ても、自らの中にバランスがもたらされていないと否定されたと受け取る場合も多く、そのメッセージを受け取らず結局は大変な経験をして変化するという道を選択することはよくみられます。
そうして大変な経験を通して、もうどうにもならなくなって助けを求めた時に、初めて他者からの言葉を本気で受け取ろうとします。
セッションで内なる神からのメッセージをお伝えした場合、それは「わかっています」「やっています」という言葉が出てくるのは、多くの場合抵抗の表れです。
ここで理由なくそのメッセージは来ないことに気付けば、新たな一歩が始まります。
例えば「自由に」という言葉がありますが、「自由」という言葉の指し示すところは個々の意識状態によって全く変わります。
人間は今の意識がとらえる範囲のものを言葉を通して認識します。
同じ言葉を使っているのに、認識は互いに全然違うということがあり得ます。
昔読んだ本を今読んだら理解が全く変わり、まるで新しい文章に触れたかのように感じる、ということはよく起こるものです。
個々の視点の違い(意識の違い)により言葉の認識が異なるなら、言葉によって伝達しようと試みても限界をみます。
よって意識の世界から内なる神を通して拡大した視点そのものを伝達する意図を持つと、受け手に抵抗がない状態であれば説明を超えた深いレベルで伝わっていきます。